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富岡製糸場と絹産業遺産群 群馬の養蚕の歴史との深い関係

      2015/11/17

蚕

富岡製糸場と絹産業遺産群、
今回は「絹産業遺産群」のほうに着目してみました。

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富岡製糸場と絹産業遺産群 養蚕の視点から

富岡製糸場と絹産業遺産群の世界遺産としての価値の一つに、
生糸の大量生産を実現した技術の革新ということが挙げられます。

この技術革新に大きく貢献していたのが

・田島弥平旧宅
・高山社跡
・荒船風穴

この3つなのです。

田島弥平旧宅

群馬県伊勢崎市境島村地区にある田島弥平旧宅
これは近代養蚕農家建築の原点となった建物です。

田島弥平は、そのころ育てるのが難しかった蚕の飼い方をいろいろ研究し、
蚕の飼育には自然の通風が重要であることに気付き、
養蚕技法「清涼育」というのを編み出しました。

そして、清涼育に適した蚕室として建てたのが、
棟上に換気設備を備えた瓦屋根総二階建ての住居兼蚕室「田島弥平旧宅」です。

田島弥平旧宅ができたのは文久3年(1863)
この構造はその後、各地に広まり、
多くの養蚕農家で安定した繭の生産が行われるようになったのです

高山社跡

養蚕の飼育方法のさらなる改良に取り組んだのが、
上野国緑野郡高山村(現群馬県藤岡市高山)出身の高山長五郎です。

高山長五郎は、明治16年(1883)に、
通風と温度管理を調和させた「清温育」という蚕の飼育法を編み出しました。

また、その技術を教えるため、
養蚕教育機関「高山社」を設立しました。

高山社に集まった生徒たちにより清温育は全国に広まり、
品質の高い生糸を大量に生産する日本の技術に大きく貢献したのです。

荒船風穴

荒船風穴は、群馬県甘楽郡下仁田町にある、
岩の間から吹き出だす自然の冷たい風を利用した蚕の卵の貯蔵施設です。

明治38年(1905)から大正3年(1914)に造られました。

それまで年1回しか行うことができなかった養蚕ですが、
蚕の卵を、常時3度か4度ぐらいの冷たい風が吹くこの荒船風穴で貯蔵し、
卵が孵化する時期をずらすことによって、
年に複数回、養蚕ができるようになったのです。

1年1回のサイクルを最高1年に6回までやったこともあるそうです。

群馬 養蚕の歴史

富岡製糸場ができる前は、
群馬の養蚕というのはどうだったのでしょう。

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群馬県は長野と並び、昔から養蚕の盛んな県で、
あちこちに桑畑や養蚕農家ががありました。

上州座繰り機という器械を使ってつくられた群馬の糸は
大変品質が良かったといいます。

前橋に生糸を取り扱う市場があり、
横浜の商店がそこで買い占めた糸を港にやってくるヨーロッパ人に売ったところ、
大変評判がよく、ヨーロッパ人はこの糸のことを「マエバシ」と呼んでいたそうです。、

生糸は高い値で売れたので、
座繰りで糸をつくっていた上州(群馬)の女性たちは一家の稼ぎ頭。、
かかあ天下」と言われるゆえんでもあるようです。

群馬県は全国でも珍しく、
県庁の中に蚕糸園芸課という課があります。

また、前橋市には蚕糸技術センターがあり、
新しい蚕品種の開発や育成を進めています。

さらに、蚕が小さいときに与える人工飼料の製造・供給などを行う
県直営の人工飼料センターもあります。

現在でも養蚕に力を入れていることが、
こういったことからもよくわかります。

おわりに

富岡製糸場と絹産業遺産群を養蚕という視点で見てみました。

こちらは富岡製糸場の人気のお土産「かいこの一生チョコレート」
ちょっとリアルでインパクト大ですね。

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