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富岡製糸場の工女 士族のむすめも 労働環境はバッチリ!

      2015/11/17

富岡製糸場

世界遺産「富岡製糸場」の主役といえば、
やはりそこで働いていた工女たちでしょう。

今回は富岡製糸場で働いていた工女たちにスポットライトを当てて見てみましょう。

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富岡製糸場 工女が主役

富岡市のイメージキャラクター「お富ちゃん
実は15歳で富岡製糸場に入り、1年3カ月、工女として器械製糸技術を学んだ後、
地元の長野県に戻って製糸場の指導者として活躍した「和田英(旧姓横田)」がモデルとなっています。

横田英は、富岡製糸場で働いていた頃の回想録「富岡日記」を書いたことで有名です。

富岡製糸場で働いていた工女は何人ぐらいいたと思いますか?

糸を繰る機械は300台。1人1台動かすので、これだけでも300人必要でした。
そのほかに、繭を運んだり、選別したりする人も必要になるので、
富岡製糸場の操業開始までに、工女さんだけで400人近く集めなければいけなかったのです。

ところが最初は、工女の募集をかけても、人がなかなか集まりませんでした。

富岡製糸場 工女は士族の子女から

富岡製糸場で工女たちに指導するのはフランス人。

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当時、外国人など全然知らない日本人ばかりでしたので、
髪の色も、目の色も、肌の色も、体格も違う外国人を
得体の知れない者として怖がっていたのです。

さらに、彼らが赤ワインを飲む様子を見て、
「人間の娘の人の生き血を吸っている」という風評被害が流れ、
工女がさっぱり集まらなかったといいます。

そこで、初代工場長は自分の娘を工女として出すことにしました。
お富ちゃんのモデルとなった横田英も役人の娘なのですが、
そういった士族の子女たちが、まず工女として働きはじめました。

それを見てやっと、全国から人が集まるようになったのだそうです。

富岡製糸場 労働環境は恵まれていた

工女と聞くと、すぐ女工哀史などをイメージしてしまうのですが、
富岡製糸場は政府の指示による模範工場として設立された官営の工場、
しかも、西洋のシステムを採り入れていたので、
労働環境も労働法が整備されたフランス式にならって、
1日8時間労働、週休1日という、かなり先進的で恵まれたものでした。

敷地内には工女たちが寝泊まりする寄宿舎があり、
フランス人医師による診療所もありました。

工女たちは技術認定システムによって等級分けされ、
高い技術を持った者はお給料もよかったようです。

女性の身だしなみとしてお化粧も奨励されていて、
おしゃれも楽しんでいたようです。

おわりに

こういった恵まれた労働環境は官営時代の富岡製糸場特有のもので、
その後、各地域でつくられた民営の製糸場は、
もっと厳しい労働環境だったようです。

ちなみに「工女」と「女工」、
どちらも工場で働く女子工員という意味ですが、
富岡製糸場では、というか、富岡製糸場の明治初期の時代には、
「工女」と呼ばれていました。

以上、富岡製糸場を「工女」の視点から見てみました。

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